【はじめに】
「愛の反対は憎しみではなく、無関心である」とは、マザー・テレサの有名な一言です。
昨今、日本ではこの無関心に起因するような出来事が頻発しています。児童虐待、育児放棄、消えた高齢者など、数え上げれば枚挙に暇がありません。私たちは、モノに溢れた豊かな生活を享受する一方で、人間として最も大切にすべき心を失いつつあるのです。
無関心は、無気力の産物であります。そして、無関心と無気力の充満する社会は、甘えの社会であると言えます。モノがない時代、個人に甘えは許されませんでした。その日を生きる為に生への執着心と創意工夫が常に求められたのです。一方、現在は、個人の願望に対して自らが考え工夫をしなくても、多くの選択肢がすでに与えられている時代です。つまり、個人は能動的に生きる時代から受動的に生きる時代へと変化したのです。私たちの社会が抱える問題は、生を尊ぶことが出来ず、能動的に自立することが出来ていない一人ひとりの意識の中にこそ原因があるのです。
社団法人舞鶴青年会議所は、これまで54年の長きにわたり、「明るい豊かなまち 舞鶴」の創造に向かい不特定多数の人々の利益を追求した運動を展開してまいりました。
今、世の中はモノと情報に溢れ、どの地域においても生活環境に大きな差はなくなってきています。私たちのまち舞鶴でも、生への無関心に起因する非人道的な事件が起こっているのです。私たちは、こんな時代だからこそ地域の先頭に立ち、生を尊び、能動的に生きることの大切さを訴えていかねばなりません。一人ひとりが生に感謝をし、精一杯日々を生きれば、誰しも自ずと気づくはずなのです。「一人で生きているわけじゃないのだ」と。
本年、私たちは強くたくましく能動的に生きることの意義の発信を通じて、まちの意識を変え、ひとの心を変えて、人間が本来持つ慈愛に満ちた、全てのひとがいきいきと暮らす誇れるまちを創り上げていきましょう。
【会員の拡大】
私たち社団法人舞鶴青年会議所が地域に根ざしたJC運動・JC活動を行い続ける為には同じ志をもった青年の力が必要です。私たちの存在意義や魅力がしっかりと伝われば多くの青年が同志として共にまちのため、ひとのために賛同してくれるはずです。その為に勧める立場の各々が舞鶴青年会議所を理解し心から賛同しているか、常に自問しましょう。自立なくして飛躍はありません。私たち自身が行動を起こし、魅力を発信しましょう。
【強く生きる力を育む取り組み】
私たちのまち舞鶴では、1958年9月7日引揚最終船「白山丸」が到着するまでの13年間、約66万人の引揚者を受け入れました。引揚者の多くは、極寒の地シベリアでの抑留生活を終え、夢にまで見た祖国の地を、ここ舞鶴で踏んだのです。舞鶴の人々は戦後の貧困の中、我が身を省みず、生還した同胞を心からのもてなしで迎えました。引揚者たちは、ひとかけらのふかし芋に、明日への希望を見出したに違いありません。与える方も与えられる方も、ろくに食事も取れず栄養状態は良好とは言えなかったはずですが、人間らしく助け合える社会の中で、生きる力に、生きる希望に満ちあふれていたのです。
引き揚げの史実はこれまで、平和学習の題材として重要視されてきました。もちろんこの視点は今後も変わることはないはずですが、今の私たちの社会は、わずかな希望をつなぎ過酷な日々をたくましく生きぬいた力強さをこそ、学ぶ必要があるのです。引揚者にとって、舞鶴は再び生きる日々が始まる希望のまちでした。私たち、社団法人舞鶴青年会議所は、この再生のまち舞鶴で、「生」への感謝に基づいた「強く生きる力」を育む取り組みを行っていきましょう。その結果、受動的に他者へ依存することなく能動的に自ら立つ人々がまちに溢れ、人も、まちも、大きく飛躍するはずだと信じ、積極的に行動しましょう。
【関わりあう社会を育む取り組み】
私たち社団法人舞鶴青年会議所は、これまで39年にわたり市長旗チビッコソフトボール大会の実施を通じて、次代を担う青少年の育成に取り組んで参りました。昨今、コミュニティの崩壊が叫ばれて久しい世の中ですが、この目的に対し数多くの方にご賛同いただき、私たちのまちでは家庭・学校・地域の三者が連携して子どもたちを育む環境が出来ています。本年、40回大会を迎えるにあたり、これまでの成果をより一層飛躍させるべく、子どもたちが「まち」や「ひと」や「自分」に関心を持ち、いきいきと活力がみなぎる存在になれるよう、地域全体で関わり合える青少年育成事業に取り組んでいきましょう。
【今、求められる青年会議所運動のために】
1956年10月、社団法人舞鶴青年会議所は諸先輩方の大いなる志のもと産声を上げて以来、この地において明るい豊かな社会の創造を目的に運動展開をして参りました。
今、私たち社団法人舞鶴青年会議所は、公益法人制度改革という転換期を迎えています。
私たちは、これまで個人の利益や偏った考えではなく、すべてのひとの利益、すなわち公益性を創始の時代から追求してきました。しかし、現在の社会には公益を標榜する団体があまりに多く存在することにより不透明感が強まり、本来の公益のあり方が問われる時代となっています。そんな中、もとより公益性を求め社団法人格を取得した私たちも、2013年に移行期間を終える公益法人制度改革に対して、どの選択が「まち」や「ひと」に対してより公益な運動の展開に繋がり、私たちの考える「明るい豊かなまち 舞鶴」の実現に向けて邁進できるのか調査・研究をし、ひとつの方向性を導き出しました。
本年、私たちは創立55周年の節目を迎えます。この節目を機に、これまで常にニュートラルな考えで運動を実践してきた舞鶴青年会議所は、不特定多数の利益を追求した、社会が求める公益社団法人格認定に向けての申請に取り組んで参ります。また、この取り組みを通じて、地域や関係諸団体に対しこれまで運動を継続できたことへの感謝を表すとともに、これからの力強い運動展開への決意を示していきましょう。
そして、舞鶴青年会議所のJC運動・JC活動の本質を変えること無く公益な団体であり続けるためにも、私たち舞鶴青年会議所の活動を公益へと改革し、今まで以上に公益な事業をまちに展開できる方向性と組織を確立し、公益法人会計基準に沿った運営を実践することで、新たなる飛躍に向かい公益社団法人格の取得へ全会員で行動していきましょう。
【一人ひとりが主体者として】
社団法人舞鶴青年会議所は、変革の能動者の集団として、常に社会の前向きな変化を目指して運動してまいりました。そのために私たちはまず会員一人ひとりの資質の向上に心血を注いできました。社会という大きな視点から見れば、一人ひとりの存在は実にちっぽけなものです。しかし、そのちっぽけな存在の集合体が社会なのです。「隗より始めよ」という故事成語が示すように、私たちが率先して行動して初めて社会が動き出します。「時代が悪い・社会が悪い」とネガティブに考えず、ポジティブに行動しましょう。未来は手つかずの白紙なのです。受動的に生きるのではなく、常に能動的に前向きな変革へ挑み、情熱に溢れた日々を過ごそうではありませんか。私たちが身につける資質の全ては、いずれ社会に還元されるのです。社会を構成する一人ひとりの心の自立なくして、社会の飛躍はあり得ません。そのことを一人ひとりが使命と感じ、自らを鼓舞し続けましょう。私たちが公の利益を考え、直向きに日々を生きる姿は、必ずや社会に伝播すると信じ、自らを律して、それが例えわずかな一歩だとしても、貪欲に前に進み続けましょう。
【終わりに】
「暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう」とは、カトリック教会による「心のともしび運動」のスローガンです。私たち社団法人舞鶴青年会議所は、常に時代の課題を正面から見据えて、運動を展開してきました。そこには、誰かがあかりをつけてくれるだろうという依存心は存在しませんでした。だからこそ、本年創立55周年を迎えるまで運動が継続し、私たちの存在意義は地域に浸透してきたのです。
今、社会は多くの課題を抱えています。しかし、この課題を前にして、私たちは決して受動的になってはいけません。誰かの手であかりがともされるのをただ待っているのではなく、自ら立ち上がり、何よりもまず、自分の手でつけることが大事なのです。自らが考え、自らの意思で、自らの創意工夫で積極的に行動しようではありませんか。若者らしく、精一杯知恵を絞り、汗をかき、力強い生を歩みましょう。私たち一人ひとりがきらきらと輝く社会には、必ずや愛が生まれるはずです。無気力は無関心を産みますが、気力溢れる生は、他者への関心を産むはずです。そうして依存心を捨て私たちが能動的に自立したその先に、社会の大いなる飛躍が見えてくるのです。
私たちは、それぞれがかけがえのない人生を過ごしています。そして、その生は、先人の生によってもたらされています。ただその日を生き延びることだけに希望を抱き、シベリアの極寒と気の遠くなるような重労働に耐えた人々がいたことを、私たちは思い返さねばなりません。今ある生に感謝をし、日々をただ漫然と過ごすことなく、ひと時ひと時をかみしめながら生きていきましょう。力みなぎる生こそが、未来を拓くと信じて、自ら立ちあがり、希望溢れる明日へと飛び立ちましょう。私たちこそ、変革の能動者なのです。